2008年12月09日

20 夜になったからって、世界が終るわけじゃない

 

 ナグリを持っていくことにした。金槌に釘抜きが付いているやつだ。それにバールも持った。電気工に見えるように紺のつなぎの服を買った。先の長いマイナスのドライバーも腰袋に入れた。そいつをベルトに通し、つなぎの上から腰に巻いた。住所が書いてある蛇皮の手帳も尻のポケットに突っ込んだ。
 行くところは決まっている。殺す奴のリストの一番上は、もちろんあいつに決まっている。でも、顔も見たこともない。名前と役職と事務所の住所と電話番号が書いてあるだけだ。知っていることはそれだけだ。
 事務所のビルのエレベータを降りると、高級そうな受付があって、受付嬢がカウンターに座っていた。やることは決まっている。出たとこ勝負だ。計画なんて一切ない。
「社長室に工事に来ました」 
「どちらさまですか?」
「東アジア設備の者ですが」
「少々お待ちください。総務に確認しますから」 
 受付嬢は二人いる。電話の受話器を持ち上げて内線番号を押している横で、なにもしないでぼくを見ている受付嬢は電話をしている方よりも若くて、可愛い顔をしている。もう一人の女が、内線電話に出た社員に確認している。
「総務の××さんですか? あの、東アジア設備の方が見えているんですが・・・」
 当然そんな工事があるはずもないのだが、確認に手間取っている。若い方の女は白痴なんだろう。ぼくの顔を見てニコニコしている。
「総務に確認しましたが、予定が入ってないそうです。それに、電気工事はいつも別の会社にお願いしているのですが・・・」
「ああ、そう。予定入ってないはずだよ。今日、社長から直々に電話掛ってきて、すぐ来てくれって言われたんだから。いい? 社長室この奥だろ」
「いいえ、この奥は営業部で、社長室は6階です」
「ありがとう。非常階段あったよね」
「あ・・・。お名前をここに記入して・・・」
 階段を上がっていく。
 腰にぶら下げた道具袋がガタガタ揺れてうるさい。
 6階の扉を開け、社長室に入る。
 男がいる。
「あんた、鹿村だろ! 社長さん!」
「なんだ!」
 ぼくを睨みつけた強靭そうな中年過ぎの男に歩み寄って
「ば〜か! こうしてやるんだよ!」
 腰に下げていたバールを握り、頭がい骨に振り下ろした。
 命中!
 血が飛び散る。
 恐怖の目。
 つづいてナグリでチョークをフック。
 骨が砕ける感触。
 それでも死なないから、靴底で蹴り飛ばす。
 尻もちをついてドシンと音を立てて倒れる。
 ひきつって痙攣する口にマイナスドライバーを突っ込む。
 ご臨終。
 血だらけの道具一式と道具袋を散らかしたまま、非常階段を駆け降りる。
 脚がもつれて転がり落ちる。
 受付嬢は唖然とした顔。
 若い白痴の女はニコニコしている。
 血だらけの指でエレベータのボタンを押す。
 エレベータは無人。
 乗り込んで、無事に外に出る。
 大通りの歩道を走る。
 駅について、汚い便所で手を洗い、顔を洗う。
 汚い屑のような動物を一匹屠殺した。
 否、と僕は思う。
「動物は罪を犯さないが、人間は罪を犯す。動物は風呂に入らないが、風呂に入る人間は動物よりももっと汚い。倫理的に汚い奴が大儲けして、金の力で従業員に傅かれていい気になっている。力もないのに、影響力を行使して、資本を増強している。それで、ますます世の中は不幸になっていく。だから殺したのだ。簡単だ。しかも、殺し足らない。もっと苦しめて見せしめてやればよかった」
 電車に揺られていると、だんだん気分が落ち着いてきて、脚と腰の震えが止まってきた。

 
 加奈子の家に戻ったら加奈子がもう帰っていた。
「殺したよ」
「え?」
「殺して来たよ!」
「あ、ああ・・・え?」
「なに動揺してるの? いつもは”ああそう”って軽く受け答えするくせに」
「だって殺したってマジ?」
「マジって、なにその言い方。いつもはそんな言葉使わないくせに」
「だれを? だれを殺したの?」
「決まってるだろ。あいつだよ」
「あいつって・・・ほんと?」
「本当だから、今すぐ逃げなきゃ。金ちょうだいよ!」
「ねえ、別の人なんじゃない?」
「なに? 信じられねーのかよ! だから、あいつだって言ってんだろ! 見ろよ、この手を! この手で殺したんだよ! 見ろよ! 血がついてんだろ! あいつの血だよ! アンタがセックスのあとでいつもいつも殺してってお願いするあいつだよ! オレはなー、ずっとムカついてたんだよ! だからやってやったんだよ! それなのに他のヤツを殺しただと! おい! いいか! 信じられねーのかよ! ふざけんな! だったら、ここで俺が死んでやろうか! 信じられねーなら、今すぐ死んでやるよ! それに、お前は、俺の子はらんでんだろ! そっちの方がほんとかよ!」
「なによ! ふざけんな! お前の子はらんだんだよ! 信じられねーか? だったら今ここで、腹かき切って確かめろ!」
「なんだと! オレの子、殺させるつもりか! それともだれの子かしらねーが、証明できんのか!」
「いいわよ。あんたの子じゃないわよ! バーカ! それにあんた殺したっつーけど、どうかしら? 本当だったら今すぐ警察呼んだるわ!」
「なんだと! このやろう! やってみろ! 警察でもなんでも呼んでみろ! 皆殺しにしてやる! ふざけんな!」
 叫びながら、台所に行き、右手に包丁を持ち、自分の左手をめった刺しにして、床に包丁を叩きつけ、ダンダンと地響きを立てながら全速力で部屋を駆け抜け、だらだら血の滴る左手を押さえながら箪笥の引き出しを片っ端から開け、血だらけの手で現金の入った箱から札束を掴み取ると、玄関に向かって駆け出し、ドアノブを回し、ドアを蹴り開けて、外に走り出た。
 
「オレの子だったら、ぜったい生めよ! 下ろしたら殺すぞ! 1年後に確かめに来るからな!」
 
 
 
  
 
  
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
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2008年12月08日

21 でも、もうすぐ、小さな炎が綺麗に見える夜



 包丁を突き立てた左腕から血が大量に滴り落ちる。動脈を切ったのだろうか。これじゃあ大量出血で倒れると思い、加奈子の豪邸に引き返す。さっき蹴り開けた扉は無防備に開いたまま、逆に何かもっと凄惨な事件に招き入れようとするかのように訪問者を待ち受けていた。靴のまま玄関を上がり、居間見回すと加奈子がいた。今まで一度もつけたのを見たことも無いテレビが薄暗い部屋を照らしていて、その前に座り、じっと画面を見つめている彼女は爬虫類の脳である大脳旧皮質以外を全部切除されたロボトミーのような表情で、石のように固まったまま顎を前に突出している。ブラウン管の光が映って、加奈子の顔は亡霊のように青白く光っている。周りの状況に全く気づかない様子で、大音量で騒ぎ立てるテレビを大きく見開いた目で見つめている。昼のワイドショーのレポーターが必要以上の声を張り上げて無意味に興奮しているのが聞こえる。視聴者はレポーターの興奮状態に同調して、自らのアドレナリンを必要以上に上昇させるのだろう。それが一種の中毒となって、犬のように毎日同じ時間にテレビの前に座り、条件反射のようにスイッチを入れるのだ。ところが今の加奈子には、情動を司る脳すら存在しない。爬虫類のように表情を変えないままテレビの前に座っている。
僕は左手の先から真っ赤な血をポタポタと滴らせながらbathroomへと向かう。ヴェネチアングラス製の洗面台の中に左肘まで腕を入れ、スミレ色のクリスタルの蛇口をぬるま湯になるように調節しながら回す。すでに固まってドロドロした血をぬるま湯で溶かしながら洗い流し、さらに溢れ出てくる血が吸い込まれていく排水口を見つめていると、軽い眩暈を覚える。洗面台の横の棚にあったヴァセリンの瓶を掴み、蓋を開け、開いた傷口にパテのように埋め込み、盛り上げる。それから戸棚に畳んで重なっていたミッソーニのタオルを取り出し、左腕に巻き付けた。やがて吹き出してきた血でびしょびしょになったので、さらに別の柄のミッソーニを引っ張り出して、巻き付けてきつく縛った。さらにもう一枚、別の柄のミッソーニを引っ張り出して、首にも巻き付けた。
居間を通るときに加奈子を見たが、まだテレビ画面を見つめていた。が、今度は前に突出した顎を両手で支えていた。
「ミッソーニ三枚もらっていくから!」と叫ぶと「あー、良いよ」と、悪霊に取り憑かれた女が出す男のような声で、反射的に答えるのが聞こえた。
 玄関ポーチの吹き抜けの天井からクリスタルのシャンデリアがぶら下がっていた。明かりセンサーで暗闇を感知したのだろう。シャンデリアの電気が鼈甲色に薄暗く灯っていた。吹き抜けの大きな窓にはレースのカーテンが掛っている。眩しいばかりの昼間の外光を遮るためにそうしているのだろうが、もうこの家には二度と明るい光はさすことがないとぼくは思った。
 玄関脇に置かれたウルトラマリン色の小さなガラスのテーブルの上に、マルボロと100円ライターが無造作に置かれていた。ぼくが置き忘れたやつだ。それを無意識で掴んで100円ライターを擦った。
 小さなオレンジ色の炎が綺麗だった。
 天井から垂れ下がっているレースのカーテンに目が止まった。なぜかそれに火を点けてみた。
 それから、マルボロのパッケージから煙草を1本取り出して火を点けて口にくわえ、紙パッケージの中に100円ライターを押し込んで、ポケットに入れた。
玄関を出、ドアを締めた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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2008年12月07日

22 最後は脳に染みついた場所に戻って来る



 ほかに行く宛てもない。電車を乗り継ぎ、田口の長屋に着いた頃、日が西に沈みかけていた。
 裏口に回り木戸の前に立つ。まだ田口は帰って来ていないようだ。雨ざらしのベニヤの扉は、蹴ればすぐに壊れてしまうだろう。それでも、この粗末な長屋をドロボウから守っているのだろうか、ちゃんと南京錠が取り付けてある。その鍵は今はもう使われていない牛乳箱の中に隠してある。ザラザラに表面がささくれた板木の蓋を開け、真鋳の鍵を取り出す。南京錠を開け、狭い勝手口から台所の板敷きの床に上がる。
 今にも抜け落ちそうな板敷きの床をギシギシ音を立てながら、ブヨブヨの畳の上に西洋絨毯を敷いた居間にたどりつくと、そこに突っ立っている。
 古い木製のちゃぶ台の脇に黒電話が置いてある。ぼくがこの長屋に居候していたときとまったく変わらないレイアウト。あの頃がまるで何十年も昔の出来事だったように、懐かしくフラッシュバックしてくる。あのとき聖子はぼくの横に座り、ビールが置かれたこのちゃぶ台の向こう側には田口が座っていた。田口からめぐみのことを聞かされた聖子は怒って、この長屋を出て行った。それを追いかけてぼくもこの長屋から外に出た。それが最後だった。
 半乾きになった血で重くなったミッソーニのタオルがグルグルに巻かれた左腕。傷口に激痛が走ると同時に思い出した。あの台風の夜の聖子のゆがんだ顔、唇。憎しみにひきつりながらぼくを睨みつけた目。びしょ濡れのアスファルトの上に尻餅をついてひっくり返ったときに開いた太もも。エラ鹿のようにおもむろに立ち上がると、叩きつける雨の中をぼくを罵倒して走り去った姿。
 聖子に会いたい。でも、あれほどぼくを憎んだのだから、もう二度とぼくを好きになることはない。二度と、絶対に。
 黒電話の横にメモ紙の束があって、田口の知人の電話番号が書いてある。ぼくはその束をめくってみた。もしかしたら聖子の番号があるかもしれない。加奈子のパーティーのとき、田口はぼくに言った。聖子がぼくの居場所を捜していたと。そして、何度も訪ねてきたと。いったい何故聖子はぼくを捜していたのだろう。復讐したいのだろうか。殺したいのだろうか。殺したいほど、ぼくを憎んでいるのだろうか。
 田口は聖子と連絡を取り合っていたのかもしれない。加奈子のデッサン教室で二人は頻繁に出会っていたのかもしれない。画学生とモデルとして・・・。
 メモ紙をめくってみた。予想は当たっていた。ビンゴ! 聖子の電話番号が書かれたメモ紙が見つかった。メモ紙の束を2,3枚めくると、鉛筆で大きく”聖子”と書かれた下に、03から始まる電話番号が書かれていた。
 そうだ、聖子に金を返さなきゃならない。
 ジーンズの右ポケットには、丸めた札束が入っていた。左ポケットには100円ライターを突っ込んだ紙パッケージの煙草が入っていた。左ポケットから湿った煙草のパッケージを左手で取り出し、4,5本残っていた煙草のうちの1本を右手で取り出し、口にくわえて100円ライターで火を点けた。それから空いた右手で受話器を掴み、肩と頬の間に挟んでから、空いた右手で旧式の黒電話のダイヤルを回した。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by hoshius at 00:00| 狂犬革命 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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