2008年12月10日

19 パウダールームにあるロココ調の化粧台



 加奈子のパウダールームにあるロココ調の化粧台。二番目の引き出しに、メレダイヤがはめ込まれたプラチナ製の小さな鍵が入っている。それは一階のリヴィングの奥に置いてある幅約一間、高さが約半間くらいの赤いラッカー仕上げの収納BOXの鍵なのだ。六十年代ニューヨークの有名な現代美術作家が造った作品だと加奈子が言っていた。赤いラッカーの表面には割られた鏡が幾何学模様に象嵌されている。そのBOXの鍵は、加奈子のパウダールームの化粧台の、鍵のない引き出しに無造作に入っている。この豪華なダイヤ入りの鍵は、見た目にはただの宝飾品に見える。でも、僕だけは、それが本当の鍵の役割をはたす代物だということを知っている。リヴィングの奥の真っ赤な収納BOXの一番上の引き出しの鍵穴には、それを飾るプラチナ製の彫刻がはめ込まれている。メレダイヤが水しぶきのように散りばめられていて、泉から溢れる水を象っている。その鍵穴に先ほどの鍵を差し込み、右に回す。前にも開けたことがあるのでコツはわかっている。ゆっくりと鍵穴に引っ掻けるように様子をみながら回さないと鍵は開かない。奥の方の出っ張りに鍵の先端の先が少し当たる辺りでゆっくり回す。すると軽快な音がして鍵が外れる。引き出しをゆっくり引き出すと、中は濃いブルーの艶出しラッカーで仕上げてある。むせるような香水の匂い。加奈子の下着が入っている。高級な絹のランジェリー。それらに混ざって、香水瓶が無造作に何個も埋まっている。それらをどけて、奥の方、引き出しの底あたりに、真っ赤な手帳が埋まっている。蛇の皮を真っ赤に染めたアンティークな住所録。開くと、加奈子の絵画を購入したお客の名前、住所、電話番号、役職、事務所の住所等が横書きで上から順に記入してある。高額購入者で重要人物ほど上に書いてあると、加奈子は僕に、それが愛の告白ででもあるかのように告げた。この住所録こそ、絵画を購入してくれた大切なお客さんのリストなのだ。さらに、それ以上重要なのは、それが加奈子が殺してほしいと願う、殺人候補者のリストでもあるということだ。リストの一番上に書いてあるのは、もちろんあの男だ。つまり、加奈子がエクスタシー度毎に思い出す、あの忌まわしい、あの、殺したい優先順位一位の男。それでいて、現在の加奈子の贅沢な生活の経済的源泉でもある男。加奈子の絵をコレクションしてくる大切なパトロン。それなのに、加奈子のエクスタシーを邪魔する最も憎むべき男。僕はこの宝石のような鍵の使い方と一緒に、この手帳のリストの意味することを加奈子から直々に教えてもらった。もしかなえてくれたら、つまり、殺してくれたらなんでもする、本当になんでもしてあげると加奈子は言った。加奈子は誰にでもそんなことを言う人間じゃない。長年、僕のような男が現れるのを待っていたに違いない。つまり、加奈子の本当のパートナーは、この、泉から湧き出す水を象った鍵穴に鍵を突っ込み、開けることができるだけではなく、手帳に書いてある男を本当に抹殺ことができる男。加奈子は、そんな狂犬を探していたのだ。
 ザラザラと尖った蛇皮の住所録。まるで温かい血が新鮮なまま固まったような色をしている。すでに死すべき運命が定められた人間の名前が数ページに渡って書かれてある。舞踏家の田口はよく僕に、「お前はろくな死に方をしないな」と言った。そして飲むとよく、勝手に思いつくまま、出鱈目の予言を語った。「お前は三十になる前に脳梅で死ぬな」とか、「お前は拷問で殺されるな」とか。それから、こんなことを言っていたのを思い出した。「お前、二十人くらい人を殺して死刑になるな」。でも、加奈子の手帳のリストを見る限り、ぼくは三十人以上殺らなければならないらしい。(もしかしたら、田口の“予言”は、全部的中するのかもしれない。)始めたら一気に最後まで、上から順に鉛筆で一行ずつ横棒を引いて消していけばいい。たぶん一番早くても一カ月はかかるだろう。一か月は三十日しかないのに、リストは三十数行あるのだから、間に合わないかもしれない。でも三十歳になるまでには、まだ十年もある。
 ザラザラした手帳をジーンズのポケットに突っ込んで、とりあえず買い物に行くことにした。
 鍵は鍵穴に突っ込んだまま、引き出しも開けたままにしておいた。そうすれば加奈子が帰ってきてそれを見たら、ぼくが何をしに出て行ったのか、気づくだろう。僕がついに始めたことを。僕は、まずこの、一番上に書かれている男を殺す。加奈子のために殺してやる。どんな奴にしろ、エクスタシーを妨害する輩は死に値する。それが、ぼくと交わった、否、交わりつつある女ならなおさらだ。上手くいけばまたここに戻ってきて、途中経過を彼女に報告できるだろうが、失敗したらもう二度と会えないかもしれない。それでも別になんとも思わない。そもそも僕は加奈子のためにこんなことをやるんじゃない。それをやることが初めから決められていたような気がするからやるのだ。
 赤いラッカー仕上げの引き出しの表面に埋め込まれた鏡の破片の一つ一つに、僕の顔が映っている。そのことに、今初めて気がついた。みんな同じ顔をしているはずなのに、ぼくには全部違う顔なのではないかと思われた。





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by hoshius at 00:00| 狂犬革命 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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