2009年01月13日

6 デッサン講習会で描かれた全裸像とそのモデル



 
 重ねられた木炭紙を何枚かめくると、全裸で立っている男のデッサンが出てきた。
「これぼく?」
「そう。あなた以外に、あのときほかに、だれかいた?」
 たしかに、あのときあの教室の中で全裸になっていたのは、ぼくだけだった。初めに何回かポーズを変えてクロッキーをやったあと、固定のポーズが一回あった。椅子に座っていたから楽だったが、そのあと、固定の立ちポーズを一時間やった。始める前に、先生がぼくのところに来て言った。「一時間だけど大丈夫? 初めてだから少しぐらい動いても大丈夫よ。脚がつったりしないように楽なポーズをしてね」。楽なポーズと言われても、ぼくはどんなポーズにしたらいいかわからなかった。 とりあえず胸を張って両足を肩の幅に開き、左斜め前方を向いた。そして、右脚に重心を掛け、腰を曲げて左脚を少し開いて前に出してみた。そうしたら自分で意識してそうしたわけではないのに、ミケランジェロのダビデ像と同じポーズになっていることに気付いた。腰を曲げて片脚に重心を掛けたコントラポストの姿勢。でも一つだけ違うのは、ダビデ像の左手には確かゴリアテを倒した投石器が握られていて、それを左肩に掛けていたが、ぼくは当然何も持っていない、手ぶらだった。だから、その手も下に下ろして、腰にあてた。
 固定ポーズのデッサンが始まるタイマーのベルが鳴った。
 モデルがポーズをとるのを待ち構えていた生徒たちは、一斉に木炭を握った手を動かし始めた。
「おまえ、明日、オレのかわりにモデルやってくれないか」
 居候させてもらっている田口に頼まれて、断れなかった。
「パンツも脱ぐんだよね?」
 ぼくが訊くと、田口は鼻先で笑って、そりゃそうだよ、問題ないだろ? と言った。ぼくは、まあね、と答えて肯いた。銭湯でもパンツは脱ぐ、他人に性器を見られても恥ずかしいことはないと、ぼくはそのときは思っていた。たしかにクロッキーのときは問題なかった。長くても十五分でポーズを変えていたから、自分で自分の身体をそんなに意識しないで済んだ。そして、四十五分の椅子に座ったポーズのときも大丈夫だった。ペニスは組んだ太ももの間に隠していたから、それをまともに見られることはなかった。でも、今度は違った。ぼくは女性もいる教室の前で彫像の真似をして教室の前に置かれた高い台の上に立ち、全裸で、しかもダビデ像と同じようにペニスまでさらけ出したまま、その姿を詳細に観察されている。
 ミケランジェロ以前、ダビデは少年として描かれていたという。有名なドナテッロのダビデ像も、あどけない少年像だ。少年の裸体は美しいが、性的魅力は感じられない。少年のダビデを初めて青年像にしたのはミケランジェロだった。ミケランジェロが彫った大理石の青年ダビデは、言うまでもなく性的魅力に溢れ、エロティックなアウラを全身から発散させている。まだ大人になったばかりの美しい裸体。本物のダビデが実際にあのような顔をしていて、裸になったらあんな身体をしていたのかどうかなんて誰にもわからない。ただ、ミケランジェロは理想的プロポーションの青年をどこからか探してきて、その肉体をモデルにして、あの傑作を彫刻したのだろう。モデルになった青年は、ぼくと同じくらいの年齢だったのだろうか。まだ成人はしていないが性的には成熟している年頃。時代は変わっても、五百年前に作られた全裸像と今のぼくと、ほとんど同じような体つきをしているのは何故なのだろう。でもぼくは今、ミケランジェロではなく同年代の男女の前で全裸になって、教室の前につっ立っている。それにぼくは当然、広場に立っている大理石のダビデ像ではない。体には血が通っていて、筋肉を覆う肌は真夏の教室の熱気に汗をかいている。
「コイツのチンポ小さいな。オレの方がデカイぜ!」
 中一の美術の教科書に載っていたミケランジェロのダビデ像を見て、不良の男子が大声で叫んだときのことを思い出した。
「なんだこいつ。包茎じゃん!」
「俺のはもう剥けてるぜ!」
 他の男子も、ダビデのリアルなペニスを見て、彼につられて騒ぎだした。静かにしなさい! 美術の若い女の先生がヒステリックに注意しても、余計に面白がって騒ぎをエスカレートさせた不良の男子たちは、ダビデの小さなペニスを見て笑い転げていた。そして女子は、それを横目で見ながら赤面したり、くすくす笑ったりしていた。
 ぼくの身体には中一の頃よりも筋肉が付き、陰毛も生えている。性に目覚めたばかりの頃は、勃起して尿道の先の粘膜が少し包皮から剥き出るだけでヒリヒリして痛かった。でも、今では勃起すると亀頭全体が包皮から露出するようになった。ダビデ像のペニスは勃起していないから尿道の先まで包皮に包まれている。でも、もし彼が勃起したら、亀頭が丸ごと皮からむき出しになって見えるのだろう。勃起したダビデ像。そんなものを今まで見たことがない。でも、もしぼくがここで勃起したら・・だんだんと亀頭の先が包皮から抜け出てきて、ペニスが上を向いてくる。そして、完全に露出したピンク色の亀頭は反り返って裏返り、皆の目にさらされてしまう。ここには女子もいるし、先生も女性だ。男湯で全裸になっているのとは訳が違う。
 呼吸する度に下腹部から胸にかけて波打つ何も着ていない柔らかい肌とは対象的に、下半身が硬く充血して熱くなってきた。そして気づくとだんだんとペニスが疼き始め、上を向いてくる。当然パンツも穿いていないから、皆に勃起してくる性器の姿まで見られている。でもそこを手で押さえて隠すわけにもいかない。そんなことをしたら、かえっておかしなポーズになってしまう。だから、ぼくはただ、自分のペニスが勃起してくるのをじっと我慢したまま、そこにつっ立っていることしかできなかった。
 気のせいだろうか。デッサンする音が急に騒がしくなってきた。
 もう、亀頭は包皮から完全に露出して、上を向いて裏返ってしまっている。それなのに、皆なにも言わない。黙々とデッサンを続けている。
教室の後ろを見つめて、できるだけ皆に見られていることを意識しないようにしてみた。ところが、視点をどこにも合わせずに全体をぼうっと見ていると、逆に教室全体が視界に入ってきて、皆の視線がぼくの体に突き刺さるように集まっていることに気付く。そして、そんな生徒の間を縫って、一人だけ教室の中を自由に歩き回っている先生が、真ん中の通路を通ってぼくの方にゆっくりと近づいて来るのが見えた。
「あなた、飼われてるの?」
 昨日電話で聞いた先生の声を思い出した。
「まだ十九なのに、アメリカ行って、ドラッグやってたんだって?」
 大人びた口調の艶のある声は、わざとぼくを挑発しているようだった。
「はい」
「それで、今、田口さんの処に居候してるんだって?」
「はい」
「どう? 田口さんの家、居心地いい?」
「ええ」
「そう。よかったわね」
 ただ返事だけしているのもバカみたいなので、逆に彼女のことを訊いてみた。
「田口さんのお友達ですか?」
 すると、明るい笑い声が電話の向こうから響いてきた。
「お友達? アハハハ。そうね。あなたもお友達でしょ?」
「いえ。ただ、居候させてもらってるだけです」
「そう。じゃあ今度、あたしの家にも遊びにいらっしゃい」
 ぼくは返事もせずに田口に電話を返した。
「加奈子さん、シュールでなかなかいい絵描いてんだぜ。それに面白い人だし、シュタイナーも好きだから、おまえと話しが合うかもしれないな・・。ヌードだけど大丈夫だろ?」
 ぼくはただ、肯くしかなかった。
 そのときぼくは、自分がヌードモデルになることの方が気になって、先生のことなどあまり考えてもいなかった。でも、今日、実際に彼女に会ってびっくりした。想像していたよりも若く、綺麗で魅力的だった。そして、ふと田口の言ったことを思い出した。――おまえと話しが合うかもしれないな――。田口はどういう意味でそんなことを言ったのだろう。
 初対面の先生は全裸のモデルを初めてやるぼくを気遣って、やさしく言った。「無理しないでね。初めてなんだから、少しくらい動いても大丈夫だから・・」。そして、着替えのための控え室から出て行った。
 ストッキングに覆われた脚が交互に床を踏むたびに、黒髪のポニーテールと一緒に、セルリアン・ブルーのカートの中の尻の筋肉が、左右に揺れるのが見えた。
 ぼくはそこでTシャツを脱ぎ、ブルージーンズのジッパーを下ろした。どうせ全裸になるのだからと思って、パンツは穿いて来なかった。
ぼくが教室の前で真っ裸になって、勃起した性器まで露出させて先生の目の前に立っているのは、モデルとして全裸にならなければならなかったからに他ならない。赤の他人に見せびらかすために、わざとパンツまで脱いで性器を露出させているのではない。ぼくはそんなヘンタイではない。そう自分に言い聞かせる。でも既に、この何にも覆われていない生身の性器が勃起してしまった以上、今ではもうそれが一番目につくモノになってしまっていることだけは確かだ。先生にヘンタイだと思われてもしかたがない。先生はどんどんぼくに近づいて来る。でも、ぼくにはどうすることもできない。そこを手で押さえて隠すわけにもいかない。だから、自分の意志で勃起を止めるしかない。でも、もうビンビンになるほど立ち上がってしまっている男根は、まったく言うことをきかない。他に意識を向けようとしても、逆にそこに意識が集中してしまう。そして、あせればあせるほど体が熱くなって、その姿を皆の前にさらけ出していると思うと、なおさらペニスが充血して上に立ち上がってくる。
 田口は笑いながら「問題ないよ。面白いよ」と言った。そして、奥の部屋から笠井叡の写真集を出してきてぼくに見せた。
 田口は笠井叡を崇拝していた。鳶の日雇いをしながら、夜になると、近くの小さな神社の舞台を借りて、たった一人で暗黒舞踏の稽古をすることが彼の日課だった。(夜中、誰もいない神社の舞台で稽古するときも、彼は一人で全裸になっていたのだろうか。)
「おまえ、これ見たことあるか。笠井さんも若い頃やってたんだぜ。ヌードモデル。おまえ、知ってるよな。笠井さん」
 田口は一冊の写真集をぼくに手渡した。
「ああ。前衛舞踏家の笠井叡でしょ。知ってるよ。『天使論』書いた人だよね」
「そう。おまえ、よく知ってるな」
(ぼくはただ、田口の部屋の本棚にあった『天使論』を見て知っているだけだった。)
 渡された写真集をめくると、狂気じみた表情の男が全裸で畳の上でポーズをとっている写真があった。よく見ると、彼の一物までちゃんと写っていた。でも、もちろん勃起はしていない。だから、それはダビデ像のと同じくらい小さかった。
 でも、今、ぼくのペニスは皆の目の前でだんだんと大きくなり、立ち上がり、裏返っている。だから、教室の中の誰もが、ぼくの性器が勃起していることに気付いている。ぼくが性的に興奮していることは誰の目にも一目瞭然だ。でも、自分の性器への視線を感じながらも、じっと裸の自分を見つめられ続けていなければならない。自分の性器の状態を自分でコントロールすることができない。だからぼくは、この状態を我慢し続けるしかないのだ。
 性的興奮をこんなふうに大勢の他人に見られながら、こんな長い間ペニスに触れもせず、触れられもせずに我慢したことなど、今まで一度もなかった。銭湯でも全裸になる。でも、今までこんな大勢の他人の前で、素っ裸になったことなどなかった。ぼくは、強烈な羞恥心と屈辱感をじっと堪え続けていた。ところが、我慢が限界に達したのだろうか、ふっと急に苦悩から解放されたように、自分が全裸であること、しかもペニスが勃起していること、そして、それを皆に見られていることが突然、性的恍惚感に変わった。それは露出狂と換わらない一種の性的陶酔だったのかもしれない。なにも纏っていない全裸であるという意識が開放感に変わり、さらに、教室の中という公共性と倫理性が、反道徳的とか非日常的とかいう感覚を覚醒させたのだ。それは、酩酊状態が不意に襲ったように、いや逆に、酩酊状態から急に醒めたように、急にやってきて、多幸感に変化し、ぼくの全身を突然真綿でそうするように、優しく包み込んだ。しかも、勃起した性器をさらけ出し、それを皆が黙って見つめ続けているという一種の性的見世物が、公の教室の中で公然と行われているという狂気的現実に気付いたとき、強烈な覚醒感を覚えた。
 皆が見ている勃起したぼくの性器。それは性的に興奮したまま、まさに生きて感じている生物だ。そして、教室にいる男女のうち、性的なモノが隠蔽されないまま露呈していることに性的に興奮し、秘かに歓んでいる者が大勢いる。じっと凝視されているから、皆がぼくのどこを見て秘かに歓んでいるのか、ぼくには判る。普段は隠匿されているモノを人は見たがる。隠れたモノをこそ人は覗きたがる。そして、いったん闇に隠れていたモノが光の前にさらけ出されると、人はそれを更によく見ようとして近寄り、その像を目に焼き付けんばかりに凝視する。人は秘密にされていたモノを見ることに貪欲になり、興奮を覚え、それを見る欲望を満足させることができる幸運を密かに歓ぶ。だから、一人一人の性的興奮がシンクロして、教室全体がこんなにも熱くなっているのだ。なぜなら、今、勃起しているこの生身の男根は、デッサンすべき対象以上の何物かであるからだ。それは、普段はパンツの中に隠匿され、公にされることはタブーとされ、露出すると犯罪にすらされるものなのだ。それなのに今それは、誰にとっても明らかなほど鮮明に隠蔽もされずに露呈して、しかも、それは勃起し、性的に興奮している姿を誰の目にも明らかに見せている。先生は、包皮からむき出しになって露出して裏返っている亀頭に何度も視線を投げ掛けながら、こっちにゆっくりと近づいてくる。でも自分は、このポーズのまま、どうすることもできずに、勃起した性器をさらけ出したまま、高い台の上にじっと立ち尽くしていなければならない。教室の中にいる皆によく見えるように、それに、女子にも興奮した男根が露出しているのがよく見えるように、わざと高い台の上に立っていなければならない。なぜなら、ぼくはモデルとして、身体をじっと見つめられ続けなければならいからだ。でも、自分の意に反して、あそこだけが動いているのを感じる。それは自律的に脈動を始めている。
 こんなことは異常なことなのかもしれない。それなのに、ぼくは露出した亀頭に、ズキズキと疼く苦痛を感じ始めた。できれば手でそれを握り、しごいて射精してしまいたかった。でも、もちろんそうすることもできず、ただ、もう我慢できずに肛門を何度も締めつけた。すると、思わずペニスが脈動した。もう誰にも隠すことができないほど大きく上を向いたペニスが、振り子のように恥ずかしく大きく上下に揺れた。
 そのとき、先生は、ちょうどぼくの前にいて、歩を止めたところだった。彼女はそれを触りたいのだ。自分の前方に立っている先生は、勃起して上下に揺れるペニスを黙って見つめた。
 間近で先生にそれを見られた瞬間、昨日電話で聴いた彼女の渇いた笑い声がぼくの頭の中で響いた。
「あなた、飼われてるの? アハハハハハ・・」
 昨日、電話の受話器から響いてきた笑い声の中に、彼女の性的好奇心が隠れていたことに、ぼくはそのとき初めて気付いた。
 受話器から聞こえてきた彼女のカラカラした笑い声が、意識の奥で木霊するエンドレステープのように頭の中で繰り返し再生され始め、狂ったようにぼくを嘲笑し、告発し、刑罰を宣告し続けた。
「さあ、あなたはもっと自分のペニスを勃起させなさい。そして、その姿を皆にさらけ出しなさい。あたしがそれを許してあげるまで、あなたはそうやってそこに立ち尽くしていなさい!」
 全身が熱くなり、汗が流れ、額が冷たくなった。
 いったい異性と交われないこの性器とは、どんな意味のある存在なのだろう。今のぼく自身がそうだ。ぼくという存在そのものがそうなのだ。いったいこのペニスは、そして自分は、このままの状態で、いつまでこうしていられるのだろう。

 
 
 
 
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2009年01月12日

7 ライヒのセックス革命




 
 ウィルヘルム・ライヒのことを思い出した。
 田口の本棚にあった『オルガズムの機能』に書いてあった。今ではすっかりマッド・サイエンティストとして括られてしまっている元フロイトの弟子の心理学者。しかし、彼の研究は画期的なものだった。セックスしている男女に電極をつけ、オルガズムに達したとき生体が電気的にどのように変化するのかを測定したのだ。そして、性行為の“科学的”観察から、彼独自の“性経済論”を展開し、生命現象は古典物理学に還元され得ない別のエネルギー(オルゴン・エネルギー)によって成り立っていると主張した。つまり、“物質と生命の二元論”だ。ところが、彼の学説は、物質還元主義が主流の学会の権威からはついに認められることもなく、しかも、彼の開発したオルゴン・エネルギー発生装置による癌の治療実験を、アメリカの食品医薬品局に訴えられた彼は、哀れにもFBIによって連邦刑務所に投獄され、獄死してしまった。しかし、ライヒの提唱したセックスの解放による新しい社会革命は、その後、フリーセックスを標榜するフラワーチルドレンたちによって再び担ぎ出され、ライヒは、性の革命家かフリーセックスの教祖でもあるかのように突如六十年代に復活する。
 ライヒは、『オルガズムの機能』の中でこう言っている。
「人間が自然のオルガズムの性的満足にたいする生物的要求を満足させないかぎり、人間が永久に追い求めてきた、文化と自然、仕事と愛、道徳と性欲の統合は夢物語として存在するだけである。その統合が実現されるまで、真実のデモクラシーと責任ある自由はただの幻想にすぎないのであり、現実の社会的諸条件への無気力な従属だけが、人間存在を特徴づけるものである。」
 たしかにそうだとぼくは思った。
 ぼくはライヒに共感する。まさにライヒが言ったとおり、現実は未だに文化と自然、仕事と愛、道徳と性欲の統合を実現できていない。人間社会は未だにそのステージを超えられないままでいるのだ。その証拠に、この教室では皆が秘かにぼくの勃起した男根を盗み見ている。それなのに、ぼくは、“真実のデモクラシーと自由”が実現していないこの日本の社会の、“ユートピアではない”このデッサン講習会の教室の中で、先生である女性の目の前で、勃起させた生身のペニスをさらけ出している。だから、ぼくがこのまま耐えきれずに皆の前で射精でもしてしまったなら、精神異常か変質者というレッテルを貼られて、精神病院か監獄へ入れられてしまうだろう。そして、フロイト派の精神分析医の所か臨床心理士の所へ送られ、精神分裂病だと診断を下されるのだろう。 でも、ライヒなら、ぼくがここで射精しても、ぼくを異常だとは診断しないだろう。なぜなら、フロイトから破門され、投獄されたライヒは言っている。性的満足を実現できない社会は、未だに真のデモクラシーも責任ある自由も実現できていない、無気力で従属的な社会なのだ、と。
 人間社会は、性を排除し、犯罪にまで隠匿してしまった結果、それはパンツの中だけでなく、心の深層にまで隠されてしまったのだ。そして、それは、この社会の規範を形作る人間社会の常識が、未だにアダムの原罪に捕えられ、呪縛されている証拠でもある。
 それなのに、ぼくの男根は、今、公の教室の中で勃起したまま露出し、皆の目の前で射精しそうにまでになっている。
 皆の目が見ているコレは、今まさに、“自然のオルガズムの性的満足にたいする生物的要求”を満足させ、“人間が永久に追い求めてきた、文化と自然、仕事と愛、道徳と性欲の統合”を今ここで実現させたいと欲望しているのだ!

 皆の視線にさらされたまま露出しているぼくのペニスはグングン立ち上がって天井を向き、亀頭も張り詰めて裏返り、さらにズキズキ脈打ち始めた。もう既に、自分ではこの状況を元の状態に戻すことは不可能だった。しかも、この取り返しのつかない自分の生理的状況は、さらに最悪の状況を迎えつつあった。それが今にも起こりそうなのを期待してか怖れてか、だからこそ余計に野次馬的に、この男根の性的状況がどうなるか、皆は興味津々、それを見つめていた。そして、先生も、ただ注意深くその状況を“見守って”いるだけだった。それが皆を興奮させ、性的共振状態をそそり、デッサンを今までになく異常に盛り上げていたからだろうか。それとも、ライヒが言うように、オルゴン・エネルギーが物理学には還元できないある種の心理的エネルギーによって成り立っているからだろうか。教室全体が皆、ぼくの性的興奮のエネルギーと共振して、握った木炭を興奮しながら素早く動かしているのが判った。ぼくの身体に熱い視線を向けながら、木炭紙に木炭を描き付けている、そのカリカリいう音が、急に高まった波の音のように騒がしく教室に響き、ぼくのペニスは充血してますます大胆に膨張し、思わず何度も上下に脈動する度に、デッサンする音の高まりは最高潮に達する。教室に集まった美大を受験しようという十数人の受験生たちは、ペニスのタクトに操られるオーケストラの隊員さながら、指揮者の芸術的(性的)タクトの振りに敏感に反応しながら、情熱的旋律を奏でるバイオリン奏者さながら、握った木炭を木炭紙の上に走らせていた。そして、音楽監督である先生は、情熱的にタクト(ペニス)を振る指揮者に皆が一体となって同調しながら交響曲を奏でている(デッサンをする手を動かしている)オーケストラ隊員の様子に満足したように、何も言わないまま教室の中をゆっくりと移動しながら、生徒ひとりひとりのデッサンを見て回っていた。


 
 
 
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2009年01月11日

8 再び長屋のビニール小屋の中


 

「これぼく?」
「そう。あなた以外に、あのときほかに、だれかいた?」
「え、でも、こんなふうに見えた?」
「そう、あなた以外だれもいなかったんだから、そうなんじゃない。それともぜんぜん似ていない?」
 彼女はぼくをからかうように言った。
 細い線できちっと輪郭をデッサンしてあって、巧みに立体に明暗を描いているので、かなり写実的に見える。石膏で木炭デッサンの基礎をかなり勉強しているのだろう。木炭を指でこすった跡が無く、シャドーも綺麗に描き込んであるので、人体の肌が白く見える。が、自分で思っているよりも身体全体が細長く引き伸ばされたように見える。それに、あんなに勃起していたペニスはどんな風に描かれているのか興味があったが、描かれた全裸の男の性器の辺りは黒い直方体で省略されていて、男根は描かれていなかった。
「あなたの身体、ダビデ像に似てた。でも・・もっとスマートだったかな・・」
「そう? ダビデ像に? ポーズだけじゃなくて?」
「うん、腰の辺りから太ももにかけてなんかそっくりだと思った。ううん、ダビデ像をそんなによく見てたわけじゃないけど・・でも、ダビデよりも痩せてるわよね。あなた」
「えっ、ぼく?」
 自分がそんなに見つめられていたことに改めて気付いて、驚く。
「これでも太ったんだよ。田口さんが毎晩ここに食事を運んできてくれるから・・それ食べて」
「そう。なんか、飼われてる犬みたい」
 聖子は小さな声で独言のように言った。それから慌てて付け加えるように言った。「ねえ。それまでは何食べて生きてたの?」
「あんまり、なにも・・。だから、ガリガリに痩せてたんだ」
「そう」と暗い顔をして肯くと「でも、よかったわね。田口さんに助けてもらって・・」と自分で納得するように言った。
「う、うん。だいぶ、直ったんだ。傷も・・」
 聖子は急に赤くなって下を向いた。
「あっ。そういえばあなたの身体のアザ、どうしたの?」
「え? 別になんでもないよ」
「そう。肌が白いから目に付いたの・・ゴメンね・・あれって傷、よね?」
「そう。傷」
 お互いに黙り込んで下を向いた。
聖子はぼくの目を覗き込んだ。ぼくは彼女のデッサンを見た。
 
 
 
 
 
posted by hoshius at 11:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 狂犬革命 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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