2009年01月17日

2 オープニング・パーティー



 
 加奈子の個展のオープニング・パーティーは盛況だった。
 銀座でも新進気鋭の現代美術を扱う有名な画廊らしい。天井も高く、スペースもかなり広い。
 田口をモデルに描いた百号の大作四枚が、正面の壁面と、その両側の壁面を飾っている。タイトルを見ると、「堕落/上昇 あるいは漂流T、U、V、W」とある。正面の二枚はシンメトリーに、一方は天に上昇し、他方は地に堕ちる全裸の男が描かれている。その両脇のそれぞれには、顔だけを光に照らされて、身体を窮屈にねじ曲げた全裸の男が空中に浮かんでいる。どことなくベーコンを思わせる頽廃的画風だ。それでも女性が描いた絵画らしく、男の描き方は生真面目に写実的で、色彩がシュールな分、キッチュな感じがする。でも彼女の才能がはっきりと際立っているのは、端正に描かれた男の顔の表情の写実の確かさだ。眉間に皺を寄せて悶絶しながら落下している男は、明らかに田口だが、田口が暗黒舞踏で見せる奇態な表情よりも絵のほうがはるかに崇高で宗教的な気品を感じさせる。それでも、重力の影響を受けない二次元の絵画上では、本来、どちらが天上でどちらが地下かは定かではないのだが、仮に下が地上だとするなら、男は、そのまま真っ逆さまに重力の方向に落下している。たぶんその下には、奈落という名の地獄の淵が永遠に口を開けているのだろうが、当然それは画面からはみ出した遥か下方にあるから見えない。ところが、その絵を見ていると、絵に描かれていない地獄が、画面から外の世界、つまり、この“地上”という現実そのものを暗示しているように見えてくるから不思議だ。“現実”をフィクションである平面の絵画の中に取り込む、こんな斬新な構図を、彼女はどうやって構想したのだろうか。禅寺の借景のように、日本に古くからある伝統を彼女はパクっただけなのかもしれない。しかし、いずれにせよ彼女には、他人にはない才能があるのは確かだ。ただの“自称芸術家”ではないばかりか、ただの“女流画家”として話題になるだけの画家でもない。天に上昇している男は全裸のまま脚を広げて、両腕を天に向けて伸ばしている。広げた両脚の付け根に、上を向いた男根がかなりはっきりと描かれている。顔は白い歯を見せて笑っているが、眉間には深い皺が刻まれていて上昇の恐怖に気もふれんばかりに耐えているのが感じられる。左の一枚は、上半身を不自然にねじ曲げ、尻を後ろに突き出し、顔は正面を向いたまま、片脚を高く上げ、片脚を下に伸ばしたまま、空中に斜めに浮かんでいる。身体は暗く描かれているが、性器の辺りだけが薄明かりに照らせていて、突き出した男根が黒いシルエットで浮かび上がっている。それに比べて反対側の漂流の図の中に描かれた男は、後姿で平泳ぎをしているようなポーズで宙に浮いている。尻を突き出しているから股間の男根は見えない。ただ、アヌスだけはヌメヌメと光っている。振り返った顔だけがこちらを向いていて、真剣な目つきで鑑賞者を睨んでいる。それを女性の目を通して描かれた絵画だということを知って見ているからだろうか。男の身体のどの部分も平等に、省略されずに描かれていることが、なぜかとても新鮮なことのように感じる。一方、どの絵を見ても、描かれた男性の裸体以上の思想性を作品の中に感じる。そのこともまた、女流画家には似つかわしくないことのように思えてくる。たくましい肉体と、退廃した宗教性。俗世的ソドムの悦楽によって、天上に上昇しようと画策しているかのような矛盾した超越志向。明らかにこれは宗教画に違いない。でも、こんな宗教画は今まで見たことがない。ルネッサンスでもバロックでもこんなに神聖で異教的な絵画はだれも描かなかった。きっと、田口の部屋にあったような本に書かれていた神秘学的思想から、インスピレーションを受けたのかもしれない。
 
 もう二度と会うことはないと思っていた田口。その田口が盛況の来客の中に混じっているのが見えた。美術関係者だろうか、それとも舞踏のファンだろうか。四、五人の男女に囲まれて談笑している。自分の筋肉を誇示するかのように、ぴったりと身体にフィットした黒いラメ入りのシャツを着て、白い歯を見せて笑いながら、今日の主役でもあるかのように目立ってなにか喋っている。自分がこの絵のモデルであることを吹聴しているのだろうか。それともきれいに化粧して着飾った女の子を口説いているのだろうか。周りに集まって嬌声を上げている若い女の子たちはきっと、加奈子が講師をしているという美大の学生なのだろう。
 会場の一角には、ワインやビールや日本酒、カクテルやジュースなど、なんでもありという風に並んでいて、お決まりの渇き物の他、皮を剥いた果物やキャビアの乗ったクラッカーなどつまみの種類も豊富で、寿司職人まで来て、小さなカウンターで寿司まで握っている。その辺りは人ごみになっていたが、ぼくは掻き分けて行ってトロとウニを注文し、自分で白ワインを紙コップに注ぎ、目立たない一角を見つけて、ひとりで鮨を口に入れていた。
 こんな豪勢なオープニング・パーティーなら、さぞお金がかかるだろう。いったい誰がスポンサーになっているのだろうか。このギャラリーのオーナーだろうか。それともパトロンがついているのだろうか。そんなことを考えていると、「今回も、もう既に今日で全部完売らしいですよ」と、誰からともなくそんな噂がささやかれているのが聞こえてくる。
 何故だか、自分のことのように嬉しくも感じながら、集まった人たちのファッションに目を奪われていると、
「よお!」
 いつの間にぼくを見つけたのか、田口が声をかけてきた。
「お前、今、加奈子さんの所にいるんだろ?」
「うん」
 トロを頬張りながら肯いた。
「やっぱりあの女(ひと)も変わってるよな」
 田口は顔を歪めて独言のように言った。
「オマエな、あまりあの女(ひと)に深入りするなよ」
「え?」
「馬鹿だなオマエは。加奈子さんのこと、何も知らないくせに・・」
 田口は辺りを見回しながら言った。
「彼女の元のだんな、やばいからな」
「え? だんな?」
「お前、知らなかったのか? 別れたって言ったって、まだ囲われてんだよ」
 ぼくは一瞬、頬を殴られたようなショックを受けた。
「・・そんな気がしてたよ」
「バカだなあ。そんな気がしてただと? なんの気だよ?」
「だって、彼女、綺麗だし・・」
「なに言ってんだ、おまえ」
「で、でも、一度も見たことないよ」
「バカ! お前、運が良かったんだよ。うん。そう。お前はホントに運がいいやつだよ」
「え? そんなヤバい人なの?」
 頬っぺたに指で斜めに線を入れた。
「シッ! そんなもんじゃねえよ」
「じゃあ、右にも左にも顔がきくってやつ?」
「なんだ、それ」
 田口は辺りを見回してから、「もっと、大物だよ」と小声で言うと、「バカ! おとなしくしてろよ!」とぼくの胸を叩いた。
 素早く会話を中断して、自分も握ったばかりの寿司を調達してきてから、顔を近付けて小さな声で言った。
「いいか、いい加減にしとけよ。もう潮時だと感じたら、おまえ分かってるよな? どうすればいいか。どこへでも行けるだろ、おまえなら。それから・・」
 向こうでさっきまでキャピキャピと笑っていた女の子たちの中で、ひとりだけこっちを見ている女の子がいる。きれいだ、が、聖子に比べたら見劣りする、と思った。
「それから、お前。あの子・・」
 田口は、急いでぼくに話すことは全て話してしまいたいというように続けた。
「あの子、わかるだろ。お前が俺んちから出てった日に来てた子。あの背の高い子。なんて名前だったっけ。そう聖子って言ったな。そう。一度聞けば忘れない名前だよな。あれから、うちに来たんだぜ。お前の居場所が分かったら教えてくれって。それから、何度も電話してきてさ。お前がな、加奈子さんの所にいるってことは、言わなかったけどな」
「え、どうして?」
「まずいだろ、先生なんだから」
 田口はぼくが加奈子の所にいる事を知っていたのだ。それなのに、なぜぼくをかばってくれたのだろう。それに、平気だったのだろうか。つまり、田口と加奈子はなんの関係もなかったのだろうか。
「何度も電話してきたんだぜ。お前、何かしたんだろ。あの子に」
「何もしてないよ。ただ・・、お金借りただけだよ」
「え? 金か。おまえ、金借りたのか。あの子から。それだけか? それより、あの子、お前に・・」
 そこに加奈子が近づいてきた。
「あら、再会したのね。お二人とも」
 田口は社交的な笑い顔を作って加奈子を見た。
「この子に、あたしのボディー・ガードになってもらう約束したのよ」
 いつもより胸の開いた真っ白いブラウスを着ている加奈子は、ぼくを見て、得意そうに田口に言った。
「こんな優男で大丈夫かなァ」
 田口が笑った。
「大丈夫よ。ね。いざというときはナイフ使うの上手いのよね。あなた」
 田口は、加奈子がぼくのことを親しげにあなたと呼んだのと、ナイフという言葉に一瞬ぎょっとした表情を見せた。
「えっ? ナイフ?」
「そう。ほら、これ」
 大勢の客に囲まれて、いつもより過激にふるまっているように見える加奈子は、寿司職人のまな板の上に置いてあったぺティナイフをぼくに手渡した。
 がやがやしていた会場が、急に静まり返った。
 今日の主役である加奈子が、会場で一番若い男のぼくにナイフを渡した瞬間、一斉に皆が過激な現代女流アーティストの方に注目した。いったい何が始まるのか、どんなパフォーマンスが演じられるのか皆が一斉に会話を中断して注目する中、ぼくはそれを握ると、
「危ないぞ!」
 誰かが大声で叫んだ。しかし、その声には、危ないことを期待している響きがあった。
 なんでこんなときに突然パフォーマンスを演じなければならないはめになるのだろう。でも、アートのオープニング・パーティーなんてなんでもありのような雰囲気だ。とくに今日は、色々な人が来ている。金髪の白人、黒人、イスラム系の外国人も見える。独特の雰囲気でパーティーが盛り上がっている。そして、今、ぼくは皆に注目されている。さっきぼくを見た女子大生の子も注目している。ここで何もしなければ〆がつかないだろう。
 絵の架かっていない壁をめがけて、手に持ったぺティナイフを思い切って投げつけた。勢いよく真っ直ぐに飛んだナイフは、真っ白い壁に見事に突き刺ささった。
 どよめきの後に、一斉に拍手と歓声が上がる。
 加奈子の咄嗟の思いつきのような演出は見事に成功した。過激な現代アートの会場にふさわしい突然のパフォーマンスに、来客は満足げにさっきよりも一層活気付いて、再び会話を始めた。
 そのとき、興奮しているぼくに、白髪交じりの中年男が近づいてきた。
「なかなかやるじゃないか!」
 長髪を後ろで一本に結わき、高級そうな黒のスーツを着ている。ところが、上着の前ボタンを外しているから、太った腹が醜く突き出ているのが丸見えだ。でも、実際は、太鼓腹のウエストに巻いた派手なダイヤ入りのベルトを目立たせたいから、わざとそうしているのだ。
「きみもアーティスト?」
「いいえ」
「そう。じゃあ、田口さんと同じ舞踏家?」
「いいえ」
 話に乗ってこないぼくに白けて、気分を損ねた男に、横にいた田口が助け舟を入れた。
「オレが昔飼ってた犬ですよ。狂犬だったのが、すっかり加奈子さんに躾けられて、今ではまるで舎弟のように彼女に従順になったんですよ、なっ?」
 そう言ってぼくに同意を求めたが、田口の言い振りにはムカついたので黙っていた。ところが、この成金風の男は、面白そうに身を乗り出して笑った。
「ほう」
「今じゃ、加奈子さんのボディー・ガード役だそうですよ」
 田口はわざとくだけた口調で冗談めかして言った。
「じゃあ、加奈子さんに危害を加える奴がいたら、今みたいにナイフでグサってか?」
男も冗談で話を盛り上げようと乗ってきた。
「でも、本当は、きみが守られちゃうんじゃない?」
 この男の喋るのを聞いているとなぜかムカついてくる。しかし田口はこの男の冗談に社交的に笑いながら同意した。
「たしかに、加奈子さんは強いもんな」
 いったい誰だかわからない男も、田口と同じように加奈子のことをよく知っているような口調で、面白そうに笑って続けた。
「加奈子さんがもうちょと早く生まれてたら、ヘルメット被ってマシンガンぶっ放してただろうね、絶対、絵なんか描いちゃいないよ」
 二人ともワインの入った紙コップを片手に持って、赤い顔をして笑っている。
「あら、失礼ね。あたしは重信房子じゃないわよ」
 横にいた本人が、冗談とも本気ともとれない真顔で言いながら、話に加わってきた。
「そりゃ、加奈子さんはあんな兵隊じゃないものな」
 田口が言うと、男も笑いながら頷いた。
「加奈子さんなら、重信房子を顎で使ってただろうな。でも、現代では、アートの世界でゲリラするしかないってわけか。いや、今じゃ、ゲリラなんて死語かな、でも、テロリストなんて言ったらもっと失礼だしな。いや、失礼、失礼」
「あなた、何してる方ですか?」
 ぼくはこの白髪の長髪男に挑発的に問い質した。すると、田口がそれをたしなめるように言った。
「ハハハ、彼女は絵を描く人。この人は絵を売る人。なんちゃって・・」
 それを聞いて、男も満足そうに笑った。
 成りはやばそうだが、しゃべるとつまらない冗談で人を笑わせようとするタイプの無害な中年だ。しかも、“成金”以上の哲学は持ち合わせていないらしい。こんな男は、誰にも受けない冗談をパーティーで連発して、自己満足してるだけの“芸術商売人”だ。
 加奈子さんの絵も売っているんですか、と訊くと、いやいや、私が扱う前に全部売り切れですよ、と真面目に応えた。
 そこに黒縁の眼鏡を掛けて髪を金髪に染めた背の高い男が近づいて来た。見るからにインテリで理屈っぽそうな風体をしていて、皮肉っぽく笑いながら、話しに加わってきた。
「それで、山下さん。シロ・タカヤマは売れましたか?」
 インテリの評論家にお決まりの文句で挨拶されたのだろうか、芸術商売人は戦う前に白旗を上げた将軍のように応えた。
「いやー。彼には、ん億円も、儲けさせてもらいましたよ」
 黒縁の眼鏡の男が小馬鹿にしたように笑うと、白髪の男はしゅんと黙ってしまった。現代アートの議論となっては、この金髪の男にはかなわないらしい。逆に“絵を売る人”は、論評などどうでもいいのだろう。芸術は金に換算できるものでしかなく、数字に還元できない価値など論ずること自体が無意味なのだ。一方、インテリの評論家は、芸術を金に還元して語ることしかできない商売人を小馬鹿にしている。大衆向け画商との会話が早くもすれ違ったのを悟ると、金髪に黒縁の眼鏡の男はぼくを見て、話を振ってきた。
「きみ、この絵の男に似てるなあ」
 大作が並んだ壁の脇、ちょうど果物ナイフが刺さった壁の横に、ぼくを描いた五十号の油絵が架かっていた。確かにそれはぼくを描いたあの“小便小僧のアポロン”の絵だった。いつか誰かに気付かれるだろうと思っていたが、この現代アートの評論家が最初に目をつけた。
「きみ、加奈子さんの新しいモデルさんなの?」
 答えないぼくを見て、田口が言った。
「わたしは、もうお払い箱ですよ」
「そう。それにしても、これ、傑作だなあ」
 黒縁の眼鏡の男は加奈子に言った。
「めったに褒めない上林さんにしてはめずらしいわね。今日はどうかしたのかしら」
 加奈子は皮肉っぽく金髪の評論家に言った。しかし、それには応えず、真面目な口調で「失礼ですが、いくらで売れたんですか?」と、ぼくを描いた絵の値段をぶしつけにも作家に訊いてきた。しかし、黙って答えない加奈子を見て、「いやー。これは、また平山加奈子の相場がぐっと上がるだろうなあ」と、お世辞ともとれない言い方で持ち上げた。
「タイトルがキッチュだなあ。“成人したキューピッド”って、なんか可愛らしいけど、なかなか女性にはこのポーズで、このファロスは描けないですよ。そんなこと言ったらジェンダー・ハラスメントって言われそうだけど、さすが、加奈子さんだな。それに、こんなにきれいなファロスは今まで見たことないですよ。写実的に描かれているところがなかなか過激で、むしろ挑発的かもしれないな、このファロスは、ポスト・ジェンダー的な意味で・・」
 評論家の長広舌を聞いていた白髪の長髪中年男が、金髪の評論家に同調するように言った。
「フランスのポスト・モダンなんて、もう古いものねえ。あのマッチョなラカンなんかもう話題にも上らないしね」
「いや、そんなことないですよ。フーコーやデリダは今でも最先端ですからね。しかし、フロイトがこの絵を見たらびっくりするだろうなぁ。ファロスを女性が美しく描くことそのものが象徴的なんですよ。つまり、絵画の脱ジェンダーという意味で・・」
 上林が真面目に話し始めると、中年男は、突拍子もない間合いでその話を遮った。
「フランス人はともかく、日本人のペニスの平均ってどれくらいか、知ってる?」
 上林は、笑いながら、即座に話題を変えて応えた。
「勃起時で十三センチだったかな」
「ほう、そんなもんですか。だとすると、オレは日本人の平均以上だな。フランス人並みかな? アハハハハ!」
誰も笑わないのを見ると、中年男は続けた。
「彼のはどうかな? 絵だと平均よりデカく見えるけど、デフォルメしてるだけかもしれないしなあ」
「そうですか? ぼくには平均にしかみえないけどなあ・・アハハハハ!」
 上林も話しに乗っかって笑っている。
 下品な話題で急に盛り上がって、わざとぼくを標的にしてからかっているように感じたから、また目を引くパフォーマンスでもして脅かしてやろうと思いながら機を窺っていると、それに気付いた加奈子は眉を潜めて、毅然とした態度で言った。
「彼、若いから、あんまりからかわないでくださいね。もうやりたくないって言われちゃうから」
「きみは彼女となにやったの?」
 中年男が間髪入れず揚げ足を取って、耳が痛くなるような大声で笑った。
 盛り上がっている作家とモデルと評論家たちの集まりを、向こうからじっと見つめている女の子がいた。彼女は、ぼくがつまらなそうにしているのを見ている。彼女を見ていると、ぼくが一度だけデッサンのモデルになったあの美大の予備校で出会った聖子のことを思い出す。あれから一度もあそこへは行かなかった。それに、彼女ともあれから一度も会っていない。あれからあのデッサン講習会では、また田口がモデルになって皆が絵を描いていたのだろうか。もう二度と皆の前で全裸のモデルになるのはまっぴらだと思っていた。でも彼女とまた会えるなら、またモデルになってもいい、そんな気がしていた。
 小嶋聖子。きみは、あの夜、デッサン講習会の帰り、ぼくが居候していた田口の長屋に来た。そして、きみは、電車賃の無かったぼくに金を貸してくれた。だから、ちゃんと返してあげるよ。明日、加奈子の豪邸の、あの大きなアトリエでまた服を脱いで彼女だけのモデルになれば、バイト代と称して小遣いをもらえる。そう、頼んでもいないのに、彼女はぼくに金をくれる。それは、期待している以上の金額だ。そして加奈子と交わる。彼女とそんなことをするのは、しかたのないことなのだ。でも、ぼくはきみを忘れていない。ぼくがあそこに居る限り、彼女と交わるのはしかたのないことなのだ。男と女だから。でも、加奈子と交わると必ず、あの男を殺してくれと言う。なぜ元の旦那を殺せと言うのか、ぼくには分からなかった。それにその男がどんな奴なのかもわからなかった。でも、今日、田口から聞いて初めて知った。そいつはとってもヤバイ男なのだ。暗黒街のボスだろうが、ヤバイ物をさばいているディーラーだかフィクサーだか知らないが、ぼくはいつかそいつに会いに行くだろう。社長だか投資家だか知らないが、金が腐るほどあることだけは確かだ。その金と権力で加奈子を今でも支配している。一見自由な彼女は、その男に何もかも、精神まで服従させられているのだ。だから、ぼくがその男に会いに行くまで、加奈子はその男を憎み、きみはぼくを憎むだろう。でも、いつかぼくがその男を殺したら、いや、逆にぼくが殺されたら、きみは気付くかもしれない。ぼくが本当に欲したものが何だったのか。そして、思い出すだろう。この絵の中で、小便小僧のキューピッドのように、成人してまでファルスを突き出して放尿しているアポロンは、本当はダビデを真似ているぼくで、彼がルネッサンスにでもできなかったこと、生と性の解放を、ぼくは教室で立ったまま性器を勃起させてまでやってみせたことを・・。



 
 
 
 
posted by hoshius at 17:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 狂犬革命 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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