2009年01月15日

4 夜道を歩きながら思い出している




 キリスト教会が運営している病院の裏まで歩いて行くと、急に辺りが暗くなった。
 ここから先は、薄暗い裏道を通って、街中を流れる川の始点にある公園の方に歩いて行く。街灯もまばらで、駅から遠ざかるほど歩いている人影も少なくなる。
 聖子はぼくと並んだまま、下を向いて歩いている。すっかり暗くなった路を不安そうにぼくについて来ている。ぼくは闇には慣れている。高校を卒業してもぼくは他の友達と同じレールには乗らなかった。思ってもみない所に行き、たったひとりで夜の山の中を駆け回った。そして、まったく違った自分を発見した。だからぼくは、ひとりで歩くことに慣れている。それに闇にも慣れているし孤独も平気だ。
 ぼくは夜道を歩きながら思い出している。

 エアポート・リムジンから降り、新宿の地下ショッピング・モールを抜けて地上に出たとき、ビルの間から小さい空が見えた。カリフォルニアの広大な国有林の山中の大空を見慣れていたぼくは、自分の生まれ育った街の空が、こんなに飼い慣らされて縮こまっていたことに初めて気付いた。
 ぼくは、ピックアップトラック――それは金門橋を夕方渡り、カリフォルニアを北に北に走って行った――に乗って、途中、クリア・レイク湖畔にあるカレッジに泊まり(ぼくは、その図書館の長椅子に寝た)、翌日昼頃には、シャスタ山麓に広がる広大な合衆国国有林の山中に迷い込んでいた。
 アメリカ合衆国のナショナル・フォーレスト、と言っても、もともとはインディアンの土地だ。人間の所有には属さない手付かずの自然の森林を、近代侵略国家が名前を冠して“国有化”していること自体が笑わせる。でも、その上空には時折、戦闘機のようなモノが飛行機雲を長く棚引かせて横切って行った。あまりにも高く飛んでいたからその形までは見えなかったが、高い空を切り裂くような真っ白い飛行機雲が天空に描かれると、その後にエンジン音が唸るのが遠くに聞こえた。ぼくは高い空に真っ直ぐに描かれた細長い飛行機雲を見上げているのが好きだった。それ以外、空にも、そして遠く山々が霞む地平線まで、人工の物は一切視界に映らなかった。文字通り自然の風景の中、都会育ちの十八才のぼくは、生まれて初めて原始的な生活を体験した。薪を切りに山の林に分け入り、水を汲みに薄暗い谷の斜面を下りた。そして、夕日を見ながら、山肌の土に穴を掘って糞をした。電気もガスも水道もない、トイレも風呂も、そして、法律もタブーもない生活。
 山にはインディアン式のティピとモンゴル式のヤートが点在していた。互いに見渡す限り離れている。広大な敷地は、ニューヨークの株で大もうけしたヒッピー上がりのエコロジストが買い取った土地らしい。どこから買い取ったのか、アメリカ合衆国か、それともカリフォルニア州からか知らないが、とにかく、そこだけがなぜか私有地で、その周りは広大な国有林が広がっていた。かつて一度だけ、原生しているオークの大木を伐採したことがあり、そのとき切り出した材木を運ぶために、一本の細い林道が作られた。オーク材を伐採した跡には広大な開けた敷地が残り、大小の丘が連なるその谷の周りは深い原生林に囲まれていた。今ではもう使われていないたった一本の狭い林道が、人知れず存在するこのコミューンに続く唯一のルートだった。だから、誰もよそ者が入り込むことはなかったが、ときどき鹿狩のハンターが路に迷ってこの狭い林道から山に入り込み、そこに人間の住んでいるコミューンがあることなど知りもしないで鉄砲を撃つこともあったらしい。彼らに鹿や熊と間違われたら、散弾で撃ち殺されてしまうだろう。しかし、実際、コミューンにいたわれわれは、獣と同じだった。都会の人間がそうするようには森を恐れることもなく、獣道を歩いて薪を拾い、水を汲みに谷に下りることが自然の行為だった。地図もなければ街灯もない。それでも当然、森の闇を恐れることもなかった。しかし、山には危険もあった。自分たちがハンターに鹿や熊と間違われるだけでなく、自然界のハンターの餌食になる危険だ。夜になるとコヨーテの遠吠えが聴こえた。日が沈んでから山に入って路に迷い、コヨーテに食われた仲間もいるらしい。
 旧式のブルーのトラックに拾われて狭い林道を走り、初めてその谷に入ったぼくは、広大な丘の斜面に立つティピの天井から立ち昇る薪をたく煙が烽火のように天高く棚引いている光景を初めて見て驚いた。そんな風景は生まれてから一度も見たことがなかった。でも、おかしなことに、遠い昔、どこかで見たことがあるような気がした。白人に侵略される前のアメリカの森林。ぼくはそこにかつていたし、再びそこに彷徨い込んでいるような錯覚を覚えた。
 雨が降れば、山の小川は轟々と流れる激流になる。いい天気が続くと水が枯れて飲む水も無くなる。ストーブで燃やす薪が無くなれば豆を煮ることもできない。寒い山の斜面を登り、枯れ木を見つけて鋸で切って下に運ぶ。ヤートの外で拾ってきた薪を斧の一撃で綺麗に真二つに叩き割ることができるようになった頃、ぼくは既に時計の時間を忘れている自分に気付いた。そして、それまで掛けていた眼鏡を外した。そこでは、細かい文字など読む必要がなかった。街に溢れているような看板もなければ、道路標識も電車の路線図もない。あるのは空と木と山だけだ。だから、どんなに近眼で視界がぼやけていようと、何の差し障りもなかった。
 エジソンが百数十年前に発明した電気の光を一切見ない生活を続けているうちに、夜でも森の中を歩けるようになり、動物的感覚で風の気配を感じるようになった。ぼくはすっかり今まで植え付けられてきた社会の常識を忘れた。そして幸いなことに(そのときはそう思った)、ぼくはやっと本物の獣になったのだ。ぼくは狂喜して大声で叫びながら、山の斜面を全速力で走り、転げ回った。誰もぼくを気違いだと言う者もいないし、咎める者もいない。第一、ぼくの姿を見る者も、ぼくの声を聞く者もいないのだ。ただ、空と木々と山だけが全てだ。木々は呼吸するように風になびき、鳥たちが落ち葉の上に群れる。すっかり狂ってしまったぼくも、彼らと一体だ。自然の一部なのだ。そして、それこそが自由だ。それを言葉で表現することはできない。だから、ぼくはただ大声で叫んだ。(そして、昼は太陽に照らされて、夜は月の下で、裸で斜面を転がった。)
 山のコミューンは、たった一つの思想で作られていた。それはもちろん“自然の生活”という思想だ。それをもっと難しく言えば、エコロジカルな持続可能なオルタナティブなエネルギー循環型経済ということになる。つまり、現在の世界経済は、石油のエネルギーに依存している。ところが、やがてそれは原子力にとって代わられるだろう。しかし、石油にしても原子力にしても、それを推進し、その経済を牛耳っているのは、一部の先進国の多国籍企業とその役員たち、そして、それに連なる政治家たちだ。そして、彼らは自らの利益だけを追求し、贅沢な生活を送ることだけを愉しむだけの“理想”しか持ち合わせていない。そんな貧しい“理念”では、地球は運営できない。その証拠に、人間社会では富める者と貧しい者の格差が生じ、人間の利便のために地球の資源を使い果たすことを善しとする経済は、やがて近い将来、破綻するだろう。
 ニューヨークの株で大儲けしたピッピー上がりのエコロジストは、オルタナティブな循環型経済(それは、森林の中で自然農法で作物をつくり、ソーラーバッテリーやウインドジェネレータでエネルギーを生産し、そして、芋からできる焼酎のアルコールでエンジンを回し、アルコールを絞ったカスを家畜の飼料として、鶏やヤギを飼い、それらが産む卵や乳をいただこうという自給自足の生活)を世界にデモンストレーションしようとしていた。
「石油経済が、原子力経済に移行する前に、われわれはこのエコロジカルな循環型経済を発展途上国(未だにグローバル経済に取り込まれていない国)にデモンストレーションして歩こう」、そのための実験施設として、彼はこのコミューンを造り、その思想に共感する者はだれでも自由にそこで生活することができた。ところが、ぼくはそこからも逃走した。日本の受験戦争の学歴、職歴社会から逃走したばかりではなく、ファースト・フードのハンバーガを食べ、コーラを飲んでハリウッド映画を見ているだけが自由であると錯覚しているアメリカナイズされたグローバル・スタンダードに対して、自国の米国の内側から警鐘を鳴らそうとしている理想のエコロジカル・コミューンからも、ぼくは逃走した。ぼくが求めていたのはいったいなんだったのだろう。ぼくは、しかし、ただ“理想”を求めていたことは確かだ。そして、それだけを求めていたのかもしれない。その“理想”は、確かに絶対に誰にも達成できないからこそ“理想”である類の、夢のようなものであったのかもしれない。しかし、だからこそぼくは、どんな社会にも満足できない天邪鬼なアウトサイダーであり続け、どんな組織にも帰属できなかったのかもしれない。
 山を降りてミルバレー付近をうろついていると、そこで初めて抱きたくなるような女を見た。でも、ぼくは何もできないまま風に吹かれるようにロスに行き、モーテルに泊まって飛行機に乗り、いつの間にかまた、東京に戻って来ていた。
 ぼくの生まれ育った町、新宿の風景は、以前とはまったく違って見えた。排気ガスでうす汚れた空。コンクリートに覆われた地面。大地も空も窒息しそうなのに、形だけ小奇麗な日本人が無表情にぶつかってくる。いつパニックになってもおかしくないほどストレスを抱え込んでいるのに、人々は平静を装って、忙しくも規則正しく時計仕掛けのように動き回っている。
 ところが誰もいない山から降り、一転、都会の雑踏の中、大勢の人間に囲まれてパニックになっていたのは自分だった。
そんなことは今まで一度も感じたことがなかったのに、ぼくは有り余るほどに溢れる人間と商品と雑音に圧倒され、住み慣れたはずのこの街が、まるで狂気の世界でもあるかのように感じられた。いや、街の喧騒に圧倒され、今にも自分が発狂しそうなのを堪えていた。
 ぼくはここから逃れられない。きっとぼくは罰せられるだろう。“自然”であることを見破られれば、突然、人ごみの中の誰かがぼくを捕まえ、犯罪者だと言って監獄にぶち込むだろう。(ぼくは、ふりをすることができない。平静なふり、当たり前のふり、そう、この人工の都市は狂っている、それなのに平気でいるこの大勢の人間たちは皆、“正気なふり”をしている狂人なのだ。本当は恐ろしく狂っているのに、自分は正常であるばかりでなく、立派な“社会人”だとすら自負している。それに比べて、ぼくはいったい何者なのだろう。ただの裸の野良犬だ。いつ保健所に捕まえられて殺されるか分からない野良犬同然だ。)
 突然襲ってきたわけのわからない脅迫観念にとり憑かれ、パニックから逃れようとするあまり、自分を見失って後ろを見ながら前に走る狂犬のように、ぼくは商店街の歩道の上を突っ走っていた。
 そして、前から来る人間にぶつかった。
 夏だというのに、黒いスーツを着込んでいる。
「おい! コラァ!」
 ドスの利いた声で威嚇され、ぼくの脳は一気にアドレナリンを放出させた。その途端、自分の拳がそいつの頭蓋骨を思いっきり、叩き割らんばかりに殴っていた。
「コラァ!」
 男が大声で叫ぶと、周りから二、三人、仲間が走って来た。
 掴まれた身体を振りほどき、全速力で走った。
 ぼくは今度こそ本物の獲物になった。月夜の山の中を鹿のように駆け回ったことを思い出した。アスファルトの地面を蹴り、飛び跳ねるように人工の街中を走った。
 行き交う人ごみを軽いステップで避けながら、闇雲にどこまで走ったろうか。前から来た別の黒いワイシャツを着た男に捕まった。
「おい、コラァ。貴様ぁ。ナメとんのかぁ!」
 腹に蹴りを入れられ、息もできずに倒れた。
 目の前が黄色くなり、そのまま顔にも何発か喰らい、たぶんボコボコにされて気を失ったのだろう。体中に激痛を覚えて気が付くと、血を吐いて地面を舐めていた。
 見上げると、いつの間にか大勢の野次馬に囲まれていた。ぼくはアスファルトの地面に倒れたまま、蹴りを入れられていた。
「おいおい、お兄さんたち!」
 そのとき、人だかりになった輪の中に入って来たのは、夏なのに白いトレンチコートを着て黄色いサングラスを掛け、真っ赤なフエルトのベレー帽を被った背の高い男だった。
 男はかん高い声で言った。
「やめなさいよ。野良犬いじめるのは!」
 それを聞いた、リーダー格のチンピラが叫んだ。
「なに、こら、貴様! 関係ねーだろ!」
「かんけーあんだよ!」
 現われた男は、恐れを知らないヒーローのように言った。
「なんだと!」
 チンピラたちがいきり立つと、トレンチコートを着ていた男は、それを脱いで地面に投げつけた。下は、ランニングシャツ一枚。肩の筋肉が盛り上がっていて、腕の一つ一つの筋肉までくっきり分かれて見える。 頭に赤いベレー帽を被ったまま、チンピラを睨んだ。
 人だかりの野次馬の中からどよめきが起こった。
「バカヤロウ!」
 だれかが、興奮して叫んだ。
 それを聞いた野次馬が急に興奮しだした。
 そのとき、ぼくを執拗に蹴っていた男が叫んだ。
「警察が来た! ズラガロウゼ!」
 徒党を組んでぼくをリンチしていた男たちは、あっと言う間に散って行った。
 野良犬が狂犬だったら、人に懐かずに噛みつくだろう。ところが、そんな獣を逆に不憫に思い、家に連れて帰ってエサを与え、自分の犬にしようと思う男もいるのだ。ぼくは、その男に拾われた。
 それが暗黒舞踏をやっている鳶の田口だった。


 
 
 
 
posted by hoshius at 15:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 狂犬革命 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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