2009年01月12日

7 ライヒのセックス革命




 
 ウィルヘルム・ライヒのことを思い出した。
 田口の本棚にあった『オルガズムの機能』に書いてあった。今ではすっかりマッド・サイエンティストとして括られてしまっている元フロイトの弟子の心理学者。しかし、彼の研究は画期的なものだった。セックスしている男女に電極をつけ、オルガズムに達したとき生体が電気的にどのように変化するのかを測定したのだ。そして、性行為の“科学的”観察から、彼独自の“性経済論”を展開し、生命現象は古典物理学に還元され得ない別のエネルギー(オルゴン・エネルギー)によって成り立っていると主張した。つまり、“物質と生命の二元論”だ。ところが、彼の学説は、物質還元主義が主流の学会の権威からはついに認められることもなく、しかも、彼の開発したオルゴン・エネルギー発生装置による癌の治療実験を、アメリカの食品医薬品局に訴えられた彼は、哀れにもFBIによって連邦刑務所に投獄され、獄死してしまった。しかし、ライヒの提唱したセックスの解放による新しい社会革命は、その後、フリーセックスを標榜するフラワーチルドレンたちによって再び担ぎ出され、ライヒは、性の革命家かフリーセックスの教祖でもあるかのように突如六十年代に復活する。
 ライヒは、『オルガズムの機能』の中でこう言っている。
「人間が自然のオルガズムの性的満足にたいする生物的要求を満足させないかぎり、人間が永久に追い求めてきた、文化と自然、仕事と愛、道徳と性欲の統合は夢物語として存在するだけである。その統合が実現されるまで、真実のデモクラシーと責任ある自由はただの幻想にすぎないのであり、現実の社会的諸条件への無気力な従属だけが、人間存在を特徴づけるものである。」
 たしかにそうだとぼくは思った。
 ぼくはライヒに共感する。まさにライヒが言ったとおり、現実は未だに文化と自然、仕事と愛、道徳と性欲の統合を実現できていない。人間社会は未だにそのステージを超えられないままでいるのだ。その証拠に、この教室では皆が秘かにぼくの勃起した男根を盗み見ている。それなのに、ぼくは、“真実のデモクラシーと自由”が実現していないこの日本の社会の、“ユートピアではない”このデッサン講習会の教室の中で、先生である女性の目の前で、勃起させた生身のペニスをさらけ出している。だから、ぼくがこのまま耐えきれずに皆の前で射精でもしてしまったなら、精神異常か変質者というレッテルを貼られて、精神病院か監獄へ入れられてしまうだろう。そして、フロイト派の精神分析医の所か臨床心理士の所へ送られ、精神分裂病だと診断を下されるのだろう。 でも、ライヒなら、ぼくがここで射精しても、ぼくを異常だとは診断しないだろう。なぜなら、フロイトから破門され、投獄されたライヒは言っている。性的満足を実現できない社会は、未だに真のデモクラシーも責任ある自由も実現できていない、無気力で従属的な社会なのだ、と。
 人間社会は、性を排除し、犯罪にまで隠匿してしまった結果、それはパンツの中だけでなく、心の深層にまで隠されてしまったのだ。そして、それは、この社会の規範を形作る人間社会の常識が、未だにアダムの原罪に捕えられ、呪縛されている証拠でもある。
 それなのに、ぼくの男根は、今、公の教室の中で勃起したまま露出し、皆の目の前で射精しそうにまでになっている。
 皆の目が見ているコレは、今まさに、“自然のオルガズムの性的満足にたいする生物的要求”を満足させ、“人間が永久に追い求めてきた、文化と自然、仕事と愛、道徳と性欲の統合”を今ここで実現させたいと欲望しているのだ!

 皆の視線にさらされたまま露出しているぼくのペニスはグングン立ち上がって天井を向き、亀頭も張り詰めて裏返り、さらにズキズキ脈打ち始めた。もう既に、自分ではこの状況を元の状態に戻すことは不可能だった。しかも、この取り返しのつかない自分の生理的状況は、さらに最悪の状況を迎えつつあった。それが今にも起こりそうなのを期待してか怖れてか、だからこそ余計に野次馬的に、この男根の性的状況がどうなるか、皆は興味津々、それを見つめていた。そして、先生も、ただ注意深くその状況を“見守って”いるだけだった。それが皆を興奮させ、性的共振状態をそそり、デッサンを今までになく異常に盛り上げていたからだろうか。それとも、ライヒが言うように、オルゴン・エネルギーが物理学には還元できないある種の心理的エネルギーによって成り立っているからだろうか。教室全体が皆、ぼくの性的興奮のエネルギーと共振して、握った木炭を興奮しながら素早く動かしているのが判った。ぼくの身体に熱い視線を向けながら、木炭紙に木炭を描き付けている、そのカリカリいう音が、急に高まった波の音のように騒がしく教室に響き、ぼくのペニスは充血してますます大胆に膨張し、思わず何度も上下に脈動する度に、デッサンする音の高まりは最高潮に達する。教室に集まった美大を受験しようという十数人の受験生たちは、ペニスのタクトに操られるオーケストラの隊員さながら、指揮者の芸術的(性的)タクトの振りに敏感に反応しながら、情熱的旋律を奏でるバイオリン奏者さながら、握った木炭を木炭紙の上に走らせていた。そして、音楽監督である先生は、情熱的にタクト(ペニス)を振る指揮者に皆が一体となって同調しながら交響曲を奏でている(デッサンをする手を動かしている)オーケストラ隊員の様子に満足したように、何も言わないまま教室の中をゆっくりと移動しながら、生徒ひとりひとりのデッサンを見て回っていた。


 
 
 
posted by hoshius at 12:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 狂犬革命 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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