2008年12月08日

21 でも、もうすぐ、小さな炎が綺麗に見える夜



 包丁を突き立てた左腕から血が大量に滴り落ちる。動脈を切ったのだろうか。これじゃあ大量出血で倒れると思い、加奈子の豪邸に引き返す。さっき蹴り開けた扉は無防備に開いたまま、逆に何かもっと凄惨な事件に招き入れようとするかのように訪問者を待ち受けていた。靴のまま玄関を上がり、居間見回すと加奈子がいた。今まで一度もつけたのを見たことも無いテレビが薄暗い部屋を照らしていて、その前に座り、じっと画面を見つめている彼女は爬虫類の脳である大脳旧皮質以外を全部切除されたロボトミーのような表情で、石のように固まったまま顎を前に突出している。ブラウン管の光が映って、加奈子の顔は亡霊のように青白く光っている。周りの状況に全く気づかない様子で、大音量で騒ぎ立てるテレビを大きく見開いた目で見つめている。昼のワイドショーのレポーターが必要以上の声を張り上げて無意味に興奮しているのが聞こえる。視聴者はレポーターの興奮状態に同調して、自らのアドレナリンを必要以上に上昇させるのだろう。それが一種の中毒となって、犬のように毎日同じ時間にテレビの前に座り、条件反射のようにスイッチを入れるのだ。ところが今の加奈子には、情動を司る脳すら存在しない。爬虫類のように表情を変えないままテレビの前に座っている。
僕は左手の先から真っ赤な血をポタポタと滴らせながらbathroomへと向かう。ヴェネチアングラス製の洗面台の中に左肘まで腕を入れ、スミレ色のクリスタルの蛇口をぬるま湯になるように調節しながら回す。すでに固まってドロドロした血をぬるま湯で溶かしながら洗い流し、さらに溢れ出てくる血が吸い込まれていく排水口を見つめていると、軽い眩暈を覚える。洗面台の横の棚にあったヴァセリンの瓶を掴み、蓋を開け、開いた傷口にパテのように埋め込み、盛り上げる。それから戸棚に畳んで重なっていたミッソーニのタオルを取り出し、左腕に巻き付けた。やがて吹き出してきた血でびしょびしょになったので、さらに別の柄のミッソーニを引っ張り出して、巻き付けてきつく縛った。さらにもう一枚、別の柄のミッソーニを引っ張り出して、首にも巻き付けた。
居間を通るときに加奈子を見たが、まだテレビ画面を見つめていた。が、今度は前に突出した顎を両手で支えていた。
「ミッソーニ三枚もらっていくから!」と叫ぶと「あー、良いよ」と、悪霊に取り憑かれた女が出す男のような声で、反射的に答えるのが聞こえた。
 玄関ポーチの吹き抜けの天井からクリスタルのシャンデリアがぶら下がっていた。明かりセンサーで暗闇を感知したのだろう。シャンデリアの電気が鼈甲色に薄暗く灯っていた。吹き抜けの大きな窓にはレースのカーテンが掛っている。眩しいばかりの昼間の外光を遮るためにそうしているのだろうが、もうこの家には二度と明るい光はさすことがないとぼくは思った。
 玄関脇に置かれたウルトラマリン色の小さなガラスのテーブルの上に、マルボロと100円ライターが無造作に置かれていた。ぼくが置き忘れたやつだ。それを無意識で掴んで100円ライターを擦った。
 小さなオレンジ色の炎が綺麗だった。
 天井から垂れ下がっているレースのカーテンに目が止まった。なぜかそれに火を点けてみた。
 それから、マルボロのパッケージから煙草を1本取り出して火を点けて口にくわえ、紙パッケージの中に100円ライターを押し込んで、ポケットに入れた。
玄関を出、ドアを締めた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by hoshius at 00:00| 狂犬革命 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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